スニーカーブルースってちょっと恥ずかし?
このサイトは履物についてこだわりを持つ私が特にスニーカーについてよると調べてみたことをまとめていまーす。
スニーカーは歩きやすさの点では最も優れていて軽くてそれでいて激しいスポーツにも耐えられる丈夫さも素晴らしいので大のお気に入りなのです。
カジュアルなファッションにもすごくあうのが良いのよねぇ〜
さてナイキ (NIKE) ですが私はてっきり国産とばかり思ってたんです。
思い込みと言うのは人それぞれの勘違いですから「なんでナイキを国産だと思ったか」は説明が難しいんですけど漢字の「内規」だとなぜか思っちゃったんですよね。
本当はナイキは1972年にアメリカのオレゴン州で設立されたんだそう。
スポーツ用品をおもに取り扱う会社でスニーカーはもちろんスポーツウェア全般の開発なども行っています。
私がとっても気になる社名の由来なんですが、私の勘違いと全然違ってギリシャ神話の勝利の女神「ニケ」(Nike)からの由来とのことです。
特徴的なナイキのロゴ・・・「あの3日月型のラインですね)・・・「スウッシュ」というそうですけど、あれは女神ニケの翼を表現しているとのことです。
なるほどいかにも軽やかに飛びそうな躍動感を感じますよね。
絶大な人気を誇るスニーカーのナイキは、熱心な陸上コーチとこれまた熱心な陸上選手の2人がいたから誕生したんです。
当時オレゴン大学の陸上部コーチだったビル・バウワーマンは、世界中の陸上に関する情報を集めていました。
世間も認める独創性にあふれるコーチだったようで、いち早く当時あまり知られてなかったジョギングをアメリカスポーツ界に紹介したことも彼の熱意を表わしていますね。
一方、バウワーマンコーチの指導を受けていた中距離ランナーのフィル・ナイトは「性能は良いけれどかなり値段の高い」ドイツのスニーカーと違って、安いけれど最先端のテクノロジーをつぎ込んで生まれた日本のスニーカーをなんとか日本から輸入したいとねがっていました。
二人の意見は一致し1964年には、ブルーリボンスポーツ社(BRS)の設立にこぎつけ日本のオニツカタイガー(現在のアシックス)のシューズをアメリカで販売できるようになりました。
当初はただの輸入販売業だったブルーリボンスポーツ社はその後、新しい視点からスポーツ事業に取り組むようになりました。
そして新しいデザインの会社「ナイキ」に生まれ変わったのです。
それは単なる輸入代理店とか輸入販売の枠を超える「自社のアイディアをもとに商品を開発させる」方向に舵をきったのです。
新会社「ナイキ」はバウワーマンのような独創的なアイディアを製品として具現化するためにどうしても必要な会社だったのです。
そして1974年、ナイキはバウワーマンがなんと「朝食用のワッフルを見て閃いた」という全く画期的なワッフル・ソールのランニング・シューズを開発し大ベストセラーを記録したのです。
そっかあ〜・・・私が中学生のころ田舎の学校でも猫も杓子もナイキだったのは爆発的ヒットの影響を受けてたのね。
さらに1984年、ナイキはバスケットボールのスーパースター「マイケル・ジョーダン」と契約し、あのスニーカーの最高傑作「エア・ジョーダン」を生み出したのですね。
良いものはいつまでも残ると言うけど、コーチと選手が知恵を絞って工夫したものはやっぱり説得力ありますよね。
今ではあまりに一般的になりすぎて「スニーカーって普通の靴じゃないの?」という人も多いかもしれません。
でもスニーカーって究極のハイテクスポーツシューズだったんですねぇ
そう思うとスニーカーで街に出かけたとき「もっと活動的にっ!」って気持ちになりますね。
ジョギングでも早歩きでもいいです、スポーツでいいい汗流しましょっ!